日本財団 図書館


 

通い、仲間がいることにとても気をよくして、学校に行くことを楽しみにしていたようです。
翌年には幼稚部一年に入学、一学年に五人でした。館山ろう学校を卒業するまでの十二年間、離れることなく、兄弟以上の結びつきがありました。
当時の学校は口話法だけで勉強を進めていきますが、子供同士のわかり合える言葉は手まねです。それで十分通じたのでしょう。情操教育、その中から子供たち一人一人に合った教育、先生方それぞれに信念を持って教え、そして子供たち、親たちが一つになって学んできたように思われます。
私の住まいは、学校からバスで三駅のところにあり、小学部二年にときから一人でバス通学しました。それまでは、親子で歩いたり、自転車での通学でした。私は学校へ送り届けると、家に帰ってしまうことが多く、学校での勉強内容は夕食後です。それから親子でゆっくり時間をかけてお風呂に入るのです。
風呂場は戸を閉めてしまうと、補聴器を使用しなくても十分に会話はできます。一日の学校でのこと、友だちのことなどを話してくれます。聞き取り、発語とよい勉強の場になりました。
そして風呂から出てから絵日記を書いたり、宿題をすませる、それが毎日の日課でした。そのために会話力もつき、聴力は補聴器なしで百以上ですが、電話での会話も、難しい言葉もゆっくりであれば十分に話し合えるようになりました。
中学部を卒業し千葉ろう学校の高等部に入学すると、もうそれもできなくなりました。遠距離のため寄宿舎に入ったからです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION